水俣まで

行って来ました。GW休暇を利用して、以前から伺いたかった水俣に行って来ました。水俣と言えばやはりどうしても水俣病が思い浮かびますが、元来は天草の島々を望む水産資源豊かな風光明媚な町です。その水俣病も関係各者の努力により1993に安全宣言がなされ今はもとの穏やかな町へと変わっています。水俣湾のあった場所は埋め立てられ公園となっています。訪問時もサッカーの試合が行われていて、休日の良い感じの昼下がりでした。

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公園の中には水俣病の資料館があります。なぜ水俣病が発生したのか、なぜ長い年月有効な対策がされず患者が増え続けたのか、日本が戦後急な勢いで成長していく影で起きた痛ましい災禍を深く知ることが出来ます。

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資料館の中は撮影許可を得れば写真などの著作物以外は自由に撮影が行えます。興味がある方はぜひ受付で許可をもらいましょう。私の場合、許可は頂いたのですが、展示物の内容に圧倒されてなかなかシャッターを押すことが出来ませんでした。唯一撮影したのがコチラ、水俣病の元凶塩化メチル水銀の試料でした。

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水俣には少しだけ思い入れがあって、子どもの頃、昼休みに学校の図書館でアサヒグラフが掲載しているTimeの写真を見るのが好きだったのですがその中でユージン・スミスの水俣病の娘さんをお風呂に入れているお母さんの写真がありました。娘さんをやさしく見つめるお母さんの顔が印象的でした。他の水俣の写真の多くは患者と企業や行政との激しい戦いや過酷な闘病生活など荒々しいものが多いのにこの写真にはやさしさがあふれていました。母の愛のなせる技かと子供心に思ったものです。当時小学4年生なのでかなりませている子どもですね。

その写真に写っているお嬢さんは上村智子さんと言います。胎児性水俣病といってお母さんが摂取した水銀が蓄積し胎盤を通じて水銀の毒に冒され生まれてきました。資料館の中の展示物に、水俣病の人権活動にふかく関わっている教師がいて、学校で智子さんの写真を元に水俣病の悲惨さを伝えようとしたところ、智子さんの妹が姉のことを悪く言わないで欲しい、家族に愛され幸せに暮らしていると泣きながら抗議されたエピソードがありました。教師もこの言葉にはっとして病気にたいする偏見を恥じたとあります。ちなみに水俣病の団体と障がい者の団体は障害を許さないか受け入れるかの価値観が微妙に違っていて共闘することは少なかったようです。

「この子は宝子たい」。そしてその理由は「この子が私が食べた水銀を1人で吸い取って背負ってくれたとばい、それで私もその弟も妹たちもみんな助かったとです。この子は我が家の命の恩人ですたい」

智子さんのお母さんの言葉です。胎児性水俣病の子たちは宝子と呼ばれて家族から大切に扱われたそうです。入浴する写真のお母さんの視線には親子の愛情と共に神から授かった大切な宝物だという気持ちが込められていたのかも知れないですね。上村智子さんは21歳の若さでその生涯を閉じられました。この入浴する写真については資料館での展示はありません。本当はこの写真のオリジナルプリントがあるかもしれないという期待もあったのですが、ご家族の「もう智子を休ませてあげたい」という意向により積極的な公開は行われていないと聞きました。発表当時も年頃の娘の裸をさらすなんて、という批判もあったそうですが言葉がしゃべられない代わりにこの写真で水俣病の実態を知らせたいという家族の意思がありました。事実、写真は有名となり世界中に水俣病を知らせる契機となりました。幼く細い体で家族と一緒に懸命に公害と闘われていたのです。

その代わりといってはなんですが、資料館には桑原史成さんの写真が多く展示されていて、その中で成人式を喜ぶお父さんと智子さんの写真があります。まさに破顔一笑。すばらしい笑顔です。もし立ち寄られる機会があればぜひご覧下さい。

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水俣メモリアルのモニュメント

 

資料館を後にして、お昼もだいぶ過ぎた時間、水俣の魚介類を食べたいと思って町を少しドライブしました。なかなか良い場所を見つけられず、途中肥薩おれんじ鉄道の水俣駅に寄りました。リニューアルしたばかりでなかなかおしゃれな建物です。レストランもあったのですが、できれば和食が食べたいのでここはパスしました。観光案内等置いてくれればさらに良いと思いますね。

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それでもお腹が空いたので初恋通りという通りにある蕎麦屋さんに来ました。お店の名前は失念。ちなみ初恋通りの由来は村下孝蔵さんのようです。村下さんのジャケットの絵いいですよね。同じ作家さんののぼりが通りにあしらわれていました。めっちゃいい感じです。

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熊本はそば粉の産地でもあるらしく熊本産の蕎麦を使った手打ち蕎麦です。海藻などの海の幸も入っていて、とても美味しい蕎麦でした。ごちそうさまです。お勘定の際、お店の人が観光にきているならバラ展やってるからそちら行くといいよと言われました。でも、男一人で花見に行っても。それほどバラ好きでもないし。適当に相づち打ってお店を後にしました。

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お蕎麦食べている途中、店内にあった観光案内に名物の太刀魚丼が道の駅にあるという情報が。どうしても水俣の魚介類が食べたいスイッチが入っているので道の駅へ行ったところ、道の駅がバラ展の会場だったのですね。もうここまできたら天の配慮。すなおにバラ展を楽しんできました。でも、バラ展に時間を取られて道の駅のラストオーダーに間に合わず太刀魚丼は食べることが出来ませんでした。これはいつかまた来た際の楽しみにしておきます。

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バラを堪能した後は疲れも溜まったし汗も掻いたし、海沿いの湯の児温泉へ。歴史のある温泉地みたいで海沿いの景勝地を一通り散策した後、ゆっくりお風呂に入り、水俣の旅を締めました。水俣病の知識が深った良い旅でした。

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書いてる途中でまたどこかあてもない旅に行きたくなりました 🙂

そんなとこです。

参考
「入浴する智子と母」に関する写真使用をめぐって……