自由に生きるということ


をちょっとカジュアルに考えてみましょうか。

自由に生きると言うことの定義は広範にわたります。誰と仲良くなるか、どこに行くのか、ご飯何食べるのか等々。ここでは主に仕事や経済的な自由について考えてみます。

例えば、リタイアメントした後に年金と貯蓄で悠々自適な生活を送りたい、とどちらかというと多くの日本人が考えている老後の幸せは経済的な自由の上に成り立ちます。それは毎月の必要額と想定する余命を掛けることで出せる金額を老後に維持できているかどうか。月に20万円要ります、20年はまだ生きますとなればあっという間に4800万円ものお金が必要です。そのお金、捻出するのなかなかの無理ゲーっぽい気もします。

そういう経済的自由を手に入れるために、道程はいくつもあるでしょう。例えば新卒で企業に入社して定年まで勤め上げる。今となっては貴重なモデルですが、なかなかの王道と言えます。さて、この道、自由を得るためにどういう自由を差し出すのでしょうか。通勤の時間、サービス残業、いやみな上司の説教、お客さんからのクレーム、取引先の嫌がらせ等々。なかなか厳しいですね。

一念発起して起業したとします。素晴らしいビジネスと人脈に恵まれて一気呵成にビリオネアの道!というパターンはまれですね。多くはサラリーマン以上に泥臭く地味な作業の毎日が待っています。差し出す自由は…家族と過ごす大切な時間、失敗したら跡形もなくなる担保という名の個人債務、お金のあるなしで離れていく友人。

なんだか拙いモデルケースの紹介で申し訳ないですが、言いたいのは老後の自由のために差し出す自由はなんだろう、ということです。若いうちから働きたくないふらふらどこか旅したい、そういう自由を謳歌する選択肢もあるでしょう。でも、その多くは年齢と共にいろいろな可能性を狭めます。たいした職歴のない30代、40代を喜んで採用する企業はあるでしょうか。まぁ、でも若い頃謳歌した自由はかけがえのない財産かも知れませんね。ただ一つ言えるのは森羅万象いまのところ過去に生きることは出来ません。いかにすばらしい過去があっても現在が今ひとつだと楽しくないかもしれませんよ。逆に過去の楽しい思い出が余計に現実の厳しさを際立たせるものです。

うーん、どういうことでしょう。自由を得るためには他の自由を差し出さないといけないのでしょうか。自由とは不自由なことなんだ、という話を先日ちらっと伺いました。ネット上だったかな。その言葉の中身はよく知らないのですが、頭の中になにか引っかかった感じで過ごしています。それで、ちょっとだけこんなこと考えました。まぁいうほどいろんなことに不自由してるわけじゃないんで真剣には考えてないんですけどね。:-)

そんなとこです。